地元のない私がみる「わたしたちのまち」 / Yuri ゆうり

誰にとっても身近な商材を扱う仕事をしているのに、消費者との距離が遠く感じ、手触りや実感が伴わない…。さらに、消費者との距離を感じるだけでなく、組織の取り組みや方向性でさえ自分事として捉えることも難しい。私はどこに帰属するのか。どこからどこまでが「私たち」なのか。
本展示は、このような漠然とした問いを出発点に、私の住む団地の自治会への参加を通して「私たち」「帰属すること」はどういうことなのかを探ろうと、脱線し、迷子になってゆくフィールドワークの記録です。
こどもまつり、防災訓練、夜回りパトロールなど、数々の自治会イベントへ参加し、活動を通じて出会った人たちとたわいもない会話を交わしていく中で、互いに距離を探りあいながらも人間関係を構築し、いつの間にか私自身がコミュニティの一員となっていたように思います。そして、効率や合理性が必ずしも重要とされない自治会コミュニティにおいて、大事にされていることが何か、私自身の変化とともに、紐解いていくことを試みました。
 

メッシュワークゼミ開始前と現時点とで、自分の思考や意識にどのような変化が生まれたか?

 
分からないことを理解しようとする時に、なるべく相手の文脈で理解をしたい。自分の価値観を手放し、ピュアな視点で分かろうとすることは、ものごとを寛容的に捉えることに繋がるのではないか、私自身が寛容になれるのではないか。
そんなことを期待しながら、ゼミに応募した。
フィールドワークでは自治会の活動に参与し、「長めに確保される準備時間」「掲示板コミュニケーション」「手書きの値札」「自治会をとりまく人たちとの関わり」などを通して、フィルターまみれだった「帰属」の解釈が徐々に浮かび上がってきた。
応募時の期待をよそに、本ゼミではこんな気づきが得られた。
  • 「私」が分かろうとする以上、「私」からフィルターは切り離せない(=ピュアな視点を持つことができない)。
  • このことを自覚しながら、日々生活する中で何層にもなる色フィルターをできるだけクリアにする姿勢を持つこと。
  • フィルターをクリアにするには、何層もの色を理解することが必要。つまり、自分自身の価値観を理解していくことが、分からないことへの理解の第一歩となること。
知らなかった知識を増やしていく事とは別の面白さや、もやもやが、やみつきになりそう。
 
Yuri / ゆうり(公私の境界線薄めたい会社員)