「デザイン」を信じるには / 永松健志
「デザイン」の話をする10年でした。
「デザイン」という言葉は多様性を持ち、グラフィックやプロダクト、最近ではUXやUI、より拡張されたサービスやシステム、探究的なトランジション、スペキュラティヴという言葉をイメージする人もいるでしょう。
人によってデザインのイメージするところは違いますが、私はそんなデザインが持っている「いいものを作る」「何かを変える」という力や態度を信じてここまで走ってきました。
しかし実際にデザインを信じることは、そして何かを発信していくことは簡単ではありません。幻滅(disillusion)はいつも私たちのそばにいます。
あるいは誤解されやすい「デザイン」の力を、私はどうやって人に伝えていけるでしょうか?
本プロジェクトは(結果的に)、人にとってデザインとは何であるか、それはどのような営みなのか、デザインの力をどう信じているかを問うてみたものです。
そしてこのプロジェクトに前後して私自身も発信-アクションするようになりました。
それらの軌跡も描いてみようと思います。
私がもがきながら走ったこの半年、そして10年の話です。
メッシュワークゼミ開始前と現時点とで、自分の思考や意識にどのような変化が生まれたか?
2024年はよくAIの話題を耳にする年だった。
AIはきっと私たちに影響を与えうる。だから、私たちはどうしていくべきなのかを考えないといけない、と危機感を覚えた。
最初にゼミに持ち込んだ問いは「UXリサーチ/デザインはどこまでAIで代替できるのか?(あるいは、人間は何を担保しているのか?)」だった。
ちょっと人類学とズレるかも…と思いつつ、でも多分そこにはきっと人の存在があるから、自分にとってその問いは交差するはずだ、と感じていた。
問い続ける中で、ふと「なぜ私は『これは代替できる』と”判断”できるのか」が気になった。つまりその裏側に、私の中に「これはいいデザインである」と思うやり方があることに他ならないからである。
この私の中の「よいデザイン」を明らかにする中で、私の苦しみは「どうやってそれを伝えていくか、巻き込んでいけるか」だと気づいた。
今私は、私たちはどのようにAIでデザインするのか?-エンハンス-誰もがアクセスできる形にするのか?そしてどのように私の信じる『デザイン』を伝えていけるだろうか?ということを考えている。次の10年の問いはそれかもしれない。
永松健志(デザイン迷い人 / キリン探索者 / 新米父親)