バドミントンの森で、一本の木を観ることから試みる / 吉岡瞳 Hitomi YOSHIOKA
あなたはどんな昼休みを過ごしていますか?「他者と自分が異なることを分からなければならない」と、元同僚に言われて1年数か月。18年間過ごした今の職場で、これまで全く関わりを持ってこなかった昼休みのバトミントンコミュニティに初めて足を踏み入れてみました。組織という森の木々の「いきる、はたらく」を見つめ直し、木の中で息づく虫の声をじっくりと聴いてみること、あるいはその年輪を紐解いてみることに挑戦した日々の記録です。
かつて、組織の森の全体像を把握することに努めていた時期があります。その一方で「森を観て木を観ず」という漠然とした危うさを感じていました。このゼミを通して、一人では感じられなかった他者のまなざしに触れ、言葉を交わしたことにより、私自身が自分と出会い直す経験をしました。職場や家庭、ゼミにおいてもHUBのような役割を持っているらしいこと、そして”kinkeeper”という新しい言葉と出会い、森の一本の木としてここに立つ意味を言語化できたのだと思います。
昼休みの森で他者と出会う経験を通じて、「いきる、はたらく」散策に出かけてみませんか?
メッシュワークゼミ開始前と現時点とで、自分の思考や意識にどのような変化が生まれたか?
正直にいえば、このゼミに入った時には、元同僚からの言葉のことはすっかり忘れてしまっていました。ただただ、これまでとは異なる視点から「いきる、はたらく」を捉え直したいと願っていたのです。はじめは、漠然と客観的に組織の外側からのフィールドワークをしようと思っていたのです。ところが、ゼミ指導や1on1を通じて、そんな浮ついた気持ちは一瞬で崩れ落ちることになり、ヒトとしっかり関わりながら参与観察すること、フィールドは自分で切り拓いているようで、実はフィールドの人々が開いてくれている場所からにしか”選ばれない“ことを知りました。
客観的に俯瞰するだけでなく内部にどっぷり浸かること、そのうえでいったん浸かっていることを忘れて、メタに観てみること、そして言語化してみることを弛まず試みること、この繰り返しのなかで、私は先の元同僚からのメッセージを思い出したのです。他者のまなざしを通して、自分自身の感性を研ぎ澄ませ、またその他者との関係性の質の変化に着目することができるようになったのだと思います。
本展示は、その組織における他者の「いきる、はたらく」に纏わるモノ・コトや、私自身の変化の過程を視覚化することを試みたものです。
吉岡瞳 Hitomi YOSHIOKA(ONとOFFを彷徨う大学職員)