隙間に宿る声:ADHD当事者が探る自己と他者 / Asuka

ある人間にとって世界を生き生きとしたものにするために、あるいは、人がそこに身を寄せている現実を一瞥で、一つの身振りで、一つの言葉で味気ないものにしてしまうために、もう一人の人間ほど効果的な作因は存在しないように思われる。 R・D・レイン『経験の政治学』(みすず書房)に引用されているErving Goffman, Encounters: Two Studies in the Sociology of Interactionからの言葉
 
眠い、片付けられない、話が飛ぶ、なんとなく、生きづらい...。2024年8月に自身がADHD(注意欠如・多動症)と診断され、にっちもさっちもいかなくなった時、人類学という懐の深そうな学問に「問題を抱えた自分」を丸ごと放りこんだらどうなるだろうと思いました。この展示は、一見した限りではわからない生きづらさを持つ人々と過ごした束の間の時間、交わした言葉、かろうじて掬い取った手がかりの記録であると同時に、自分の内なる声に耳をそばだてて書き留めた日記的なもののシークエンスです。

メッシュワークゼミ開始前と現時点とで、自分の思考や意識にどのような変化が生まれたか?

 
ゼミ開始前はADHDの診断を受けたばかりということもあり、言語化しづらい自分の特性や習慣、思考の癖が一挙に「ADHD」という言葉で説明できるようになったことへの安心と、診断を受ける前のグレーゾーンにはもう戻れないことへの落胆がないまぜになった、少々混乱した状態でした。しかし、当事者研究発祥の地「浦河べてるの家」を訪ねたり、大人の発達障害者の憩いの場「Neccoカフェ」に出入りしたりするうちに、自分自身に強く向いていたベクトルがふいに外へ、他者へ向きを変え、やがて「因果律を求めすぎない」「私が私であることの偶然性」といったキーワードが緩やかに浮かび上がるようになりました。ままならぬ身体と心は私だけが所有するものではない。私が今、このような境遇にあるのはさまざまな縁が重なったからにすぎない。ゼミ開始前よりも息がしやすくなった気がしております。
 
Asuka(IT会社勤務→転職活動を終えたところ)