「フィールドから揺さぶられるとき」人類学ゼミ一期生修了報告レポート
2022年9月に開始し、約半年間にわたって実施してきたメッシュワーク主催のゼミナール第1期「人類学的な参与観察によって問いをアップデートするトレーニング」。受講生達は初めて人類学に触れるところから出発し、一緒に基本的な文献を読み、各自の関心に基づく問いを立て、試行錯誤しながら参与観察をおこない、毎回の密度の濃い議論のなかで思考を育ててきました。その調査の内容や思考のプロセスは、2023年2月末に東京で開催した展示会「フィールドから揺さぶられるとき」にて発表し、おかげさまで多くの来場者にお越しいただきました。
ここではその個別プロジェクトの内容を公開します。
各々がどのようなテーマや対象に向きあい、人類学的な参与観察を進めてきたのか。現場では何を考え、どのように感じたのか。
フィールドの手触りが、皆様にも伝われば幸いです。
修了報告レポートに寄せて
人類学的なフィールドワークのエッセンスとは何なのだろう。学生の頃からその魅力に取り憑かれ、没頭するなかで、ずっと考えつづけてきた。結局のところ、私自身が学んだ人類学とは、他者とともに生きる態度そのものであったように思う。誰かと出会い、一定の時間と空間を共有しながら、その場に向きあいつづけること。
「人類学のフィールドワークとは、〈他者〉について少しでもわかろうとする実践(菅原2006:3)」である、というように、人間のあらゆる営みがフィールドワークの対象となるのであり、人間の生のありようを何らかの形で理解したいという欲求が、私たちをフィールドへと駆り立てる。その場所は遠い海外である必要もなければ、いわゆる異文化である必要もない。
日常の些細な出来事や、目の前の人々の言動を、普段とは異なった角度からまなざしてみること。見知ったはずの人々の声に、あらためて真摯に耳を傾けること。そのような身構えと好奇心さえあれば、人類学のフィールドワークはいつでも、どこでも、誰にでも始めることができる。そうして始まる「自分による、自分のための」フィールドワークは、「課題解決に必要な」「業務の一環で」といった理由づけによって与えられるリサーチとはまったく異なった、独自の魅力を放つ。
軽やかに始めることができるいっぽうで、フィールドに一歩足を踏みいれてみると、現実世界の複雑さとその機序のわからなさに眩暈をおぼえるのも事実だ。当初に立てた自分の問いは、目の前で生起する出来事となんらかの不調和をきたしはじめ、どこかしらのタイミングで覆され、フィールドワーカー達はうろたえる。そうした戸惑いそれ自体が、私たちの思考を促し、当初の問いを更新することを可能にする。
更新=アップデートといえば聞こえはいいが、変化することには常に不安がつきまとう。予定変更は楽しいことばかりではないし、そもそも好んで変更するわけではないことも多い。計画通りに進むほうが心地よい。とはいえ、私たちの生も、他者の生も、常に変化しつづける。万物は流転する。そこに対して真摯に向きあうのならば、当初の問いも変化していくことがごく自然なのではないだろうか。それはわかりやすい「発見」といった行為などではない。私たち自身が、おずおずと自分を覆っていた心地よい繭を破って、別のフェーズへと歩を進めながら、世界と出会いなおしていくのだ。
自分で対象を定め、問いを立て、そのアプローチのしかたを模索し、それに伴って問いは必然的に変化しながら、他者を少しでもわかろうとし続ける営み。こうしたメッシュワークゼミでの一連の経験は、受講生達にもさまざまなかたちで影響を与えたようだ。それは彼らの働き方、生き方に何かしらの変化をもたらしたのかもしれない。変化といっても、気づくか気づかないかもわからないような小さなものかもしれないし、それはこれから時間をかけて起きていくものなのかもしれないが。
誰かの言葉や外側からの情報によって判断するのではなく、自らの身体をもって、現場に赴き、他者に向きあっていくからこそ、「わかっていく」ことがある。そのような実感を得るのに、人類学的なフィールドワークほど適した、そして魅力的な機会はない。この可能性が、より多くの人びとに伝わるように。みなさん背中をそっと押しながら、私たち自身もまた、フィールドへと通いつづける。
2023年5月 比嘉夏子