かたちにならず、ながれそうな(村上 陸人)

まで

人類学へのあこがれは学生時代から持っていた。学部4年生のとき、大学院に進学せず一般企業に就職することになった。そのことを、恥ずかしがりながら教員に話した。「人類学はどこに行ってもできるからね」と言われた。一般企業での仕事を人類学的に行なうこと、人類学を生き方として実践することへの思いが芽生えた。
勤め先ではUXリサーチの仕事をしている。インタビューからユーザーの価値観への理解を深め、製品やサービスの企画に反映する仕事である。人に向き合うという側面は人類学的と言えないこともないが、生身の人間を予め約束した時間だけ実験室に呼び出してひたすらに問いを投げ、謝礼を渡して関係性を強制終了することに漠然としたモヤモヤを感じていた。もっと人間味のあるリサーチがしたい。メッシュワークゼミに入れば、会社の外で人間味のあるリサーチの事例が作れるのではないか、その事例を勤め先に持ち帰れば、人類学的なUXリサーチの導入に繋がるのではないか。ゼミに入った当時、私はそんな期待を持っていた。

あと

ゼミを経た今、会社に持ち帰ろうと思えるリサーチの事例は手元にない。フィールドワークで紡がれた関係性、感じたことや考えたことを、どこかに持ち出して何かに活用するイメージは湧かない。活用したいという気持ちも起きない。私が今したいのは、紡がれた関係性を引き受けることだと思う。

なか

メッシュワークゼミに入ると、テーマを定めてフィールドワークをすることになる。私のテーマは「芸術なるもの」ということにした。無謀なテーマ設定だったと思う。2023年11月ごろから継続的に通える場所を探し浜松市街をうろついた。浜松市鴨江アートセンターのサポートスタッフとして関わらせていただけることになり、ゼミ展ではサポートスタッフとして見聞きしたことや考えたことを展示するに至った。2024年1月末から2月頭にかけて開催された展覧会の一部分を複数の角度から再現するという表現をした。展示の内容はこちらのNote記事としても公開している。
表現を絞り込んだ。この絞り込みには両義的な気持ちを持っている。半年間の体験を全てそのまま共有することはできなかった。展示という場に何かを出そうとすると、どうしても伝える内容を絞り込むことになる。しかし、共有可能なことや理解可能なことから溢れる何かにこそ味があるようにも思う。言葉や数値にできることは味気がない。人類学の魅力は言葉や数値に還元できない生の全体性に向き合おうとするところにこそあるだろう。共有できない怖さから共有する事柄を絞り込んでしまったことに悔やみも感じている。ただ、共有の焦点をインスタレーション作品中のわずか数分に絞らないと、どうしても展示が構想できなかったことも確かなのである。
ゼミ展での展示スペース
ゼミ展での展示スペース
ゼミ展での表現がA面だとしたら、この振り返りはB面のような位置づけにしたい。ゼミ期間中のフィールドワークを通した気持ちの動きを書いてみたいと思う。サポートスタッフとして浜松市鴨江アートセンターのイベントをお手伝いしたのは合計8回だった。常に気になっていたのは、自分が周りにどのように受け止められているかだった。純粋な暇人、奇異なサラリーマン、調査のためのデータ収集者、何らか下心を持った変な奴、浜松の芸術振興で何か企んでいる奴、などなど。
ゼミ期間中、初めて浜松市鴨江アートセンターに行ったとき、私はとにかく定期的に通えるフィールドを探していた。あの日、応答してくれたアートセンターの方々は私を不審に思っただろう。ボランティアの機会があれば是非関わらせて欲しいと伝えた。サポートスタッフの仕組みを紹介してもらった。社会人ゼミでフィールドワークをしている一環で、お手伝いをさせて欲しいと伝えつつ、純粋に芸術に興味があり何かの役に立ちたいともアピールした。フィールドワークをしたいという思いにも、芸術の役に立ちたいという思いにも、全く偽りはない。だが、不審に思われないように恐る恐る打診していた気がする。
アートセンターのみなさんに受け入れてもらいたいという気持ちと、フィールドに通う回数を重ねることでゼミの進捗を感じたいという気持ちから、出来るだけ沢山のイベントでボランティアに入ろうとした。突然足繁く通うのも変かなとは思いつつ、あまり深く考えないようにしていた。何度かボランティアに入り、スタッフのみなさんと顔なじみになったころ、朝アートセンターに着き、事務所で荷物をおろしながら「おはようございます」と挨拶をすると「今日もよろしくお願いします。鴨江の人みたいな感じだね」と返された。共同体の一員として徐々に認められてきた感じがして嬉しかった。
サポートスタッフに登録すると、定期的にアートセンターからボランティア募集のメールが届く。2024年1月末から2月頭の展覧会での看視員ボランティアの募集を目にしてすぐに、ぜひ入りたいと思った。正直なところ、3月のゼミ展の前にまとまったフィールドワークをする絶好の機会だと思った。
看視員のボランティアをしながら、頭のどこかでずっと、ゼミ展で使えそうなネタは拾えないだろうかと考えていた。どこかのタイミングでゼミ展の内容を相談しなくてはと思いつつ、どのように切り出すのが良いか迷っていた。最初の土日は何も相談出来ないまま過ぎた。展覧会の写真や映像をゼミ展で使いたいとなどと伝えると、展覧会の作者やアートセンターに嫌がられるのではないかと恐れた。翌週の土日もボランティアに入る予定だったので、一週目に気まずくなりたくないという気持ちもあった。そして翌週、ついに恐る恐るゼミ展示について打診をした。インスタレーションの場にいる人やモノが鑑賞体験に影響を及ぼし、鑑賞する視点ごとに異なる体験が生じているところが面白く、ゼミ展で表現してみたい。もし差し支えなければ、展覧会の一部分を複数の角度から再現してみたい。そんなようなことを伝えて、作者の長島さんの意見をいただいた。鑑賞が視点ごとに異なるというのは面白いが、作者としては見てほしい視点があり、あまり突飛な視点からの体験を期待しているわけではない。これを聞いて、奇をてらった角度から変な再現をするのは良くないと思った。インスタレーションの中にいる鑑賞者として作品を観たときの映像と、看視員として展示室の外から来場者が鑑賞している様子を観たときの映像を撮ってみたいと伝えた。全然いいですよと快諾してくださった。ゼミ展示で放映した映像のなかに、私が鑑賞する様子を展示室の外から撮った部分がある。これを撮ってくれたのは作者の長島さんだった。
長島さんに撮っていただいた部分
長島さんに撮っていただいた部分
ゼミ展の内容は下書きの段階から長島さんやアートセンターの方々に共有し、問題がないか目を通していただいた。施設の正式名称や映像のアスペクト比など、丁寧に見ていただいた。本当に有り難かった。メッシュワークゼミ展設営の前日、長島さんからメールが届いた。
私の作品を取り上げ、拡張していただいて、とても嬉しいです。
展示会うまくいくといいですね!

おわりとつづき

フィールドワークや展示を通して、長島さんやアートセンターと応答してゆく関係が紡がれたように感じている。フィールドワークはぎこちなく始まり、展示はつたなく終わった。応答してゆく関係は続けられると思う。
控室にて談笑する長島さん(左)と村上(右)
控室にて談笑する長島さん(左)と村上(右)