「フィールド」と「問い」と「変容」と(Taeka Beppu)

 

1.「問い」って何だっけ

 与えられたお題に対して動くのは得意だけど、自分から何かを考えたり、生み出したりするのは苦手。求められる姿や答え探しに奔走していたら、気がつくと「あなた自身はどう思う、どうしたい」が困る質問1位にランクインしていた。
 ゼミには分かりやすい変化を淡く期待して応募したが、そんな特効薬は手に入るはずはない。代わりに殆どの時間は「自分の眼差し」と膝を突き合わせることになった。じわじわと凝り固まった体の芯がほぐれていったと思ったら、また違う物差しを持っていることに気がつく。フィールドに飛び出すと過去の自分なら決してやらないことをしていたが、理由をうまく説明できない。人と交わることで生じた「小さな変化」の数々。人と共に生き、学び続ける限り、これはずっと続くのだろうか。課題図書でもあった「人類学とは何か」の一説が私を突き刺す。
私たちの言葉は実際のところ、私たちが調査研究した人々の見方を純化させたものであるというふりをせずに、じっくりと思索する自由、つまり私たちが考えを述べるのを大事にすべきだ。(中略)しかし、私たちは、私たちの先生のために話すのではない。私たちが話すのは、私たちの心と精神によってであって、彼らの心と精神によってではない。また、私たちの心と精神によってではないふりをすることは、明らかに誠意がない。(ティム・インゴルド「人類学とは何か」亜紀書房)

2.フィールドに出ても「問い」が見つけられない

 2つのテーマのどちらにするか悩んでいた。とても近い存在にするか、想像のつかない場とするか。「とりあえず行ってから決めよう」決断を後ろ倒しにする行為から個人研究ははじまった。結果、後者を選ぶことになったがその理由もふにゃふにゃしているなと自信が持てずにいた。
 他のゼミ生はテーマを選んだ理由や思考のプロセスを丁寧に言語化した後にフィールドに出向いているのに、私は「何故この場所にいるのか」「何が知りたくて居るのか」が分からない。遠過ぎる存在だったと思っていたこともあり、共通項が見出せない。考えてもすぐに思考停止になる。見つけられない自分に苛立ちが募り、フィールドに通うことも億劫になる。でも足を運ぶことを止めるとまた以前の自分に逆戻りしてしまう。脳内が相反する感情で埋め尽くされ、自分の殻に閉じこもりたくなった。
はじまりのフィールド
はじまりのフィールド

3.迷路から抜け出すには

 救いの手を差し伸べてくれたものは「フィールドノート」と「Discord」だった。
フィールドノートは「選択した情報の断片図」。私というフィルターを通している以上、私の物の見方や興味があるものが記録されているはず。
 比嘉さんにアドバイスをもらい、薄れていく記憶や感情を想像で上書きしてしまわないよう慎重に丁寧に分析していく。彼らと自分を「線引き」している表現や反対に「近さ」を感じた瞬間。時間を置いて見直すことで点と点の情報が繋がっていく。またフィールドノートの日付が今日に近づくにつれ、何度か「彼ら」ではなく「私たち」が主語になっている場面が出てきた。参与観察しているような、一緒に創り上げているような、今でもうまく言葉にまとめられないのだが。
 Discordのタイムラインに流れる他ゼミ生の苦悩やアップデートされていく問い。人々との交わりの中で紡ぎ出されていく感情は私のフィールドノートには無いものだった。フィールドワーク中ずっと悩ませたていたのは「人々の中に入り込む怖さ」だ。フィールドであるデモ活動は同じ場所で定点観測的に行われるものではなかったこともあり、どのようなアプローチが自然で、拒否されないのかを気にし続けていた。「手法」や「自分の印象」ばかりを気にしていた私から生まれてこない内容だと痛感させられたが、それ以上に「一歩を踏み出す勇気」をもらえた。
ググりまくった初看板づくり
ググりまくった初看板づくり

4.「違い」をつくっていたもの

 遠い存在だと決めつけていたのは「私」だった。自分とは違う世界に生きていると思っていた人たちにも、日常生活が存在する。中には強い意志を持つ人もいれば、何をするべきか悩みながら参加している人もいる。世の中に向かって何かを発信することはしんどい。私が関わったデモという場においてはできる人ができる範囲で関わっていた。
 一時的な非日常と見なされがちなその状況で、その人たちの全てを理解したと主張するのは少々無理があるだろう。内側に入って、真似して、一緒にやってみてはじめて見えた景色が全てだとは言わない。ただ、外側でその事象の善し悪しを決めつけるのは答えを急ぎすぎている。見た目や世論等で形成された枠組みに当てはめることで私の思考や感情は簡略化される。特に、異質に振り分けられやすい事象は本能的にも自己防衛の一環として距離を取りだがる。ラベルを基に関わらないと決めつけたものや理由が蓄積され「遠い存在」という眼差しに繋がったのだろう。

5.はじまりに100点満点の「問い」はいらない

 私が「デモ」というフィールドを選んだ理由を書き記したい。ゼミが始まる直前に祖母が危篤になり、期間中に亡くなった。生粋のおばあちゃんっ子であり、幼い頃からずっと私の心の寄りどころだった。最も近い存在を失ったにも関わらず、日々を消費して過ごしている感覚が拭えない。一生懸命生きるって何だろう。「生」が集まる場所。言葉だけでなく、五感を使って実感できる場所ってどこだろう。その時、頭にふと浮かんだのが世界に向かって想いを発信する「デモ」という場だった。
 理路整然とした理由を求めていたが、そんな状態にはじめから1人でたどり着けるだろうか。フィールドに足を運んで、見聞きしたことを書き記し「思ったこと、感じたこと」を文献やゼミで新たな「見方」を授けてもらう。再びフィールドに足を運ぶ。地道で泥臭いプロセスがなければ見えなかったことが大半だ。はじめる段階で満点の「問い」だと思っていたとしても人びとと交わる中でガラガラと崩れていく。なぜなら「私の眼差し」にまだ気がついていないからだ。そう思うと「はじめる」が大切なのかもしれない。

6.これから

 展示会については、何と言ってもまとめることが先決で、反省点を挙げ始めるときりがない。特に比嘉さんと水上さんに頂いたご指摘(展示内容を大きく見せる、キャプションを分かりやすく入れる)は私の自信の無さを見抜かれたものだった。ただ、どんな形であれプロトタイプに起こしたことで来場者の方からもたくさんの学びを得ることができた。展示会という場もフィールドの延長線であるかのように、事象に対するさまざまな意見、感想が展示内容をアップデートさせていく。比嘉さんが「見る人を信じて委ねる」と言っていた意味を実感できたように感じる。
怒涛の勢いでまとめた展示 
怒涛の勢いでまとめた展示 
 これからどうして行きたいのかはよく分かっていない。インストールされた眼差しが凝り固まったり、錆びたりもするのだろう。ただ人々と交わり、学び、そして私の考えを伝えることは細々と続けていきたい。
 最後に、メッシュワークを通じて出会った全ての人々に感謝します。ありがとうございました。
またね。