駆け抜けた半年間を振り返って(Yuriko Kanaoka)

メッシュワークゼミの展示から1か月が経ち、半年間のゼミ、そして3月初めに行われた展示の熱気や気持ちの昂りから次第に遠ざかっている。再び日常に飲み込まれつつあるこのタイミングで、ゼミでの半年間を振り返るという課題をいただき、締め切り直前に慌ててパソコンを開いている。(そして最終的に、案の定締め切りを破っている)。この半年間で自分がどのようなことを考えたのかを時系列で振り返り、言語化してみたいと思う。

1. ゼミ応募のきっかけ

「ゼミを通して、自分で立てた問いをとことん考え抜いた経験を持ちたい」「凝り固まったまなざしを解きほぐし、柔軟な目線で社会を見つめることができるようになりたい」。私はメッシュワークゼミの志望理由書にそう記載した。人類学にはもともと関心があり、学生時代に人類学の授業を受けたり、社会人になっても人類学をテーマにしたワークショップに参加してみたりしたものの、それでもどこか物足りなかった。また、職場でもプライベートでもどこか表層的なものの見方しかできない自分に、何かを感じてもうまく言語化できないまま流してしてしまう自分に、どこかいらだちや焦りを感じていて、そんな状態を打開したかった。そんなときに「人類学的な参与観察によって問いをアップデートするトレーニング」をするゼミがあると知って、吸い込まれるように応募した。

2. ゼミの始まり

比嘉さん・水上さんからゼミの紹介・ゼミ生同士の自己紹介を終えてから、インゴルド『人類学とはなにか』、マリノフスキー『西大西洋の遠洋航海者』、菅原和孝『フィールドワークへの挑戦』を読み、印象に残ったところや感想を共有した。人類学とは何なのか、わかったようなわからないような。また『フィールドワークへの挑戦』で紹介されたフィールドワークの厚みに舌を巻き、自分もこんなことをできるのだろうか、、、と不安を募らせた。

3. ゼミ合宿@静岡

10月7日~8日まで静岡でゼミ合宿をし、それぞれが研究対象を定めて、初めてのフィールドワークに挑戦した。私は静岡に暮らす中国人の方を対象としてフィールドワークを行い、中華式マッサージ店や中華物産店、中華料理屋さんに赴いた。 以下は書いたっきりお蔵入りにしていたゼミ合宿の振り返りからの抜粋だ。
 
フィールドワークを行ってみての第一の感想は、疲れる!であった。自分の研究テーマを半年間に亘り追求してゆけるのであろうか。。。不安になってきた。また、フィールドノートを書くのがもっと疲れることも思い知った。フィールドワークをノートに書き残すには、想像以上のエネルギーと時間がかかる。(1日目の1時間強のフィールドワークを書き上げるのに2時間かかったくらいだ。) また、想像よりも早く、記憶が自分からこぼれ落ちていく。会話の順序、これだったっけ、とか。書き起こしてすぐ、「こんなんだったっけ」感があるが、すぐそんな違和感も薄れ、あとから振り返った時に、書いたことが全てになり、違和感も感じなくなる。恐ろしさを感じた。 また、「問い」を持ってフィールドワークにあたることの大切さを痛感した。静岡に暮らす外国人にフォーカスを当てたいと思っていたが、明確な問いを立てられないままに、フィールドに降り立ってしまったように思う。自分のフィールドノートを読み返してみても、おしゃべりを楽しみにきた観光者、ぶらり一人旅の日記と何が違うのか、わからなくなってしまった。 フィールドワーク後に、フィールドノートを書き、発表のために気づきをまとめながら、自分が持っている枠組みや定義にフィールドでの出来事やフィールドで出会った人を押し込めていないかも不安になった。フィールドワークで出会った中国の方は皆さんとても親切であった。けれど、彼らにとってはそれが普通なのかもしれない。そもそも「親切である」と「親切でない」の境目はどのように決まるのであろうか…。。。また、今回お話させていただいた中国の方は3名であるが、この3名の方との交流を通して、「日本に暮らす中国の方は親切だ」とまとめてしまうのは適切ではないし、そうしたいとも思わない。
中華物産店にて。中国蘇州名物のお菓子が売られていた。
中華物産店にて。中国蘇州名物のお菓子が売られていた。

4. フィールドへ

これまでの人生でどうしてか海外の文化や人の暮らしに関心を持ってきた。そこでゼミ合宿から引き続き、異文化圏の方を研究の対象に据えたいと考えた。また、宗教にも関心があった。宗教がどのように人々の価値観や生き方に影響を与えているのかを見てみたいと思ったのだ。ちょうど、昨年の夏にインドにルーツがある友人ができたことをきっかけに、不殺生を重んじ、食や生活において厳しい戒律を守るというジャイナ教に関心を持ち、調査対象にすることとした。 ジャイナ教徒の方と知り合えたり、ジャイナ教について理解を深められたりするのではないか、とまずは都内で唯一のジャイナ教料理を出すレストランに足を運ぶことにした。しかしながら、レストランに足を運んでもなかなかジャイナ教の方と深い関係を築くことができなかった。レストランの近くにあるジャイナ教寺院に何度かお邪魔し、お祈りの様子を見学させていただいたものの、なかなかジャイナ教がジャイナ教徒の方々の生活や価値観に根付いているのか見えてこなかった。調査に進展がないことに焦りながらも、半ば意地のように会社終わりや週末にジャイナ教レストランに足を運び、店員さんの様子、店員さんとの会話、自分が何を食べたか、何をもらったのか等をその日中にフィールドノートに書き残した。(最終的に訪れた回数は20回、フィールドノートは10万字近くの長さになった。) レストランに通い始めて3回目で顔を覚えられ、さらに回数を重ねるにつれてサービスで店員さんたちが食べる賄いカレーを出していただいたり、チャイやラッシーを出していただいたりするようになった。また、店員さんとプライベートでピザを食べに出かけたり、買い出しに同行させていただいたり、お土産を渡したりするようになった。結果的にジャイナ教レストランが私のフィールドとなった。フィールドで感じたことをつらつらと書き並べてみる。
頂いたインドのお菓子。優しい甘さ。
頂いたインドのお菓子。優しい甘さ。
同じメニューなのに、毎度テイストの変わるトマトサラダ。
同じメニューなのに、毎度テイストの変わるトマトサラダ。

自分はなにが知りたいのか?

「何を知りたいのか?」 この問いを月に1度の比嘉さんとの1on 1セッションでも毎回聞かれ、そして日々のフィールドワークの中でも自分に問いかけ続けた。ジャイナ教について知る、というざっくりしたテーマをもってスタートした私のフィールドワークは、ジャイナ教徒の方にうまくお話を聞けない状況を打開できないままに、ジャイナ教レストランに通い続けるような形に帰結した。ゼミ合宿での反省を生かせないままに、問いも目的もないまま、つらつらと目に入ったものごとを書き連ねたフィールドノートは日記のようで、自分は何をしているんだろうか、問いをアップデートする訓練をしたいとゼミに参加したのに、アップデートする以前に問いすら自分でもつことができないのか、と苦しくなった。しかしどうしようもなくて、やっぱりひたすらにフィールドに赴き、フィールドノートを書き続けた。自分のフィールドノートを何度も読み返し、ゼミもようやく終盤に差し掛かって、段々と向き合いたい問いが見えてくるようになった。「『友達』とはなにか?」「自分が食べるごはんが減ってしまうのに私にご飯を分けてくださるのだろうか?」「私はレストランの店員さんの中でどのような存在なのか?私と彼らは経験を『共有』できているのだろうか?」。
フィールドワーク中のごはん。
フィールドワーク中のごはん。

掬いとれるものの少なさ

今フィールドノートを書いていて、今日の最初にホール担当の方と交わした会話、これであってるっけ?となった。一言一句鮮明に思い出せないことがある。こうして記したフィールドノートはきっと現実そのものでは全くなくて、私というレンズを通したバイアスがかかりまくっているという当たり前のことを改めて実感する。私の、こうであってほしいという願望によって内容がかなりゆがめられてしまってはないかと不安になる。
上記は、とある日のフィールドノートからの抜粋であり、フィールドワークをしていて幾度となく感じた感覚である。フィールドでの出来事をすべて書き起こそうと思っても、掬い取れるものはごくわずか。その掬い取ったものですら、私というフィルターを通したもので、多くの要素がふるい落とされているのだ。しっかり見ていると思っていたのに、実は何も見えていないのではないか、そんな不安に何度も襲われた。

フィールドで揺さぶられ、自分のかけた眼鏡に気づく

店員さんと会ってすぐにインドに一緒に行こうと言われたり、住んでる場所を聞かれたり、通い始めてしばらくして店員さんから「友達なんだから遠慮しないでよ」と声をかけていただいたり、店員さんにお土産の八つ橋を渡したら、突然バースデーソングを歌われたり(後からインドでは誕生日の人がお菓子を配る文化があると知った)、自分の誕生日の一週間前にお菓子を配ったら、誕生日はいつかと聞かれ、カレンダーにしっかりと印をつけてくれたのに、いざ誕生日のあたりにレストランに行っても何も祝われなかったり。賄いがふと出されなくなったり。自分がこれまで当たり前だと信じていた、人との距離の取り方をはじめとした価値観が何度も揺さぶられた。「誕生日を迎えた人が祝われるものでしょう」「お客さんと店員さんの間にすぐに友情は生まれないでしょう」「出会ってすぐの人にインドに一緒に行こうとは言わないでしょう」。自分が揺さぶられていることを感じながら、自分がこれまで何を当たり前と考えていたのかに気づかされた。そして、自分にとっての当たり前と相手にとっての当たり前が違うというごく当然の事実を見逃してしまいがちであったことに思い至る。相手と自分が所与としていることはどう違うのか、十分にコミュニケーションして伝えあい、理解し合わないとずれが生まれる。コミュニケーションをとらずに、相手に自分の期待だけを押し付け続けると、結局すれ違ってその人間関係は壊れてしまう、気がする。

目線の変化

ジャイナ教レストランに通うようになり、ヒンドゥー教やインド関連の本を読むようになってから、普段の生活の中でもインドに関連する要素が気がつくようになった。街を歩くインドの方、インド料理のお店、インド服装店。普段と同じ街なのに、いつもと違う目線で見るから違った街に見えてきた。
街で見かけたインドの服が売られたお店。
街で見かけたインドの服が売られたお店。

突き放される感覚。わかったようで、わからない。

店員さんの買い出しに同行させていただく途中で、チャイの作り方について聞いてみた。
「そういえば、チャイってどうやって作るんですか?」 「お湯をコップ1杯分沸かして、葉っぱをいれる。ジンジャーとか黒コショウをいれてもいい。そのあとでミルク、あとお好みで砂糖」 「なるほど。」 「場合によってジンジャーとかブラックペッパーはいれなかったりするよ。お客さんを見て決めるの。砂糖をいれたりいれなかったりもその人に合わせて作る。」 「えええ、その人ごとで作っているんですね。その人にどういうのがいいかってわかるんですか。」 「わかるよ。長く働いているし。」 チャイの味が違うのは毎度作っている人が違うからだと思っていた。あと、チャイは大量に作り置きしてポットにいれて、そこから注いで提供しているのかと思っていたけれど、そうでもないようだ。チャイ一杯への手間を知った。
レストランに行き始めてからしばらくして、私がお会計をしようと席を立とうとすると、店員さんが慌てて、チャイを淹れてくださることがあった。それらは私に合わせて淹れられた一杯だったのだと、心が温かくなった。自分が大切に扱ってもらえている気がしたのだ。しかしゼミも終わりに近づいた2月半ばごろからチャイを出してもらえなかったり、注文したとしてもポットから出来合いのチャイを注がれたりすることが増えた。自分は大切にされなくなったのか、はたまた逆にお店に定着したからチャイを出されなくなったのか。急に突き放されたような感覚を覚えた。店員さんたちのことを理解したと思ったのに、またわからなくなった。
サービスで出していただいたチャイ。
サービスで出していただいたチャイ。

5. 展示の準備

展示の1週間前までほぼ展示の準備に手を付けられず、Discordを通じて次々に発表される他のゼミ生のプロトタイプにただただ焦り続けた。とりあえず、書き溜めたフィールドノートから、座った場所/注文したもの/店員さんからサービスでいただいたもの/交わした言葉、を抜き出し、表にまとめていった。その過程で、自分でも気づいていなかった店員さんと自分との間の関係・やりとりの些細な変化が現れてきた。そんな半年間の変化を表現したくて、模造紙に時系列で写真を交えながら、それらをまとめてみることにした。(これが展示の3日ほど前)
また、レストランから私がいただいたものの重みを実感してもらえるように、実際にレストランの食器が買われたという合羽橋に赴き、賄いカレーやラッシー、チャイの器を買って展示することにした。
最終的には時間切れとなり、えいやと展示会場にまだ出来上がっていない模造紙と品物を運ぶことになった。

6. 展示当日

展示当日、会場で自分の展示を眺めながら、重要なイベントの説明が抜け落ちていたり、私がそこで何を感じたのかが十分に説明できていなかったり、もののやり取りのコンテクストが書いていなかったり、どんな店員さんが何人いたのかわからなかったり、一つのレストランに通い続けたということが伝わりづらかったり、、、フィールドワークの内容を十分に鑑賞者に届けようという姿勢の欠如した、独りよがりな展示になってしまったなとひどく反省した。
そんな風に鑑賞者に対してかなり不親切な展示になってしまったことを自覚していたので、展示の前で足を止めてくださる方がいて、私とレストランの店員さんとの関係性の変化等、何かを汲み取ってくださる方がいらっしゃることがとにかく嬉しかった。展示に来てくださった方とお話をする中で、自分の考えが深まり「これってこういう事だったのかも」と気づかされることがたくさんあった。
また、鑑賞者によって着目点が違うという当たり前の事実が、改めて面白く感じた。ある人はカレーの作られ方や香りにが気になるようだった。別の方はインドのどの地域のカレーなのか、という事に注目した。ある人は私と店員さんとの会話を興味深く感じてくださった。
トークセッションは緊張した割に、想像していたよりもすらすらと言葉を紡ぐことができたけれど、言葉にしたあとで、「あれ、私、これを言いたかったんだっけ?」という違和感がついてきた。言葉にすることで何かが違う、と気づいたとしても、口に出した言葉は取り返せない、そんな緊張感があった。
トークセッションのときに会場からいただいた、とあるコメントが非常に印象に残っている。人と人とが関わり合うという事はそれそのものが一種の暴力性を持つものだということ。だからこそ私たちはそのことを強く意識すべきだということ。(コメントを私が曲解してしまっている可能性があることをご留意いただきたい。)
ジャイナ教寺院に通っているときも、レストランに通っているときも、一歩踏み込んで「もっとあなたのことを知りたいので、時間をください」と伝えたり、「私はこういう目的でこのレストランに来ているんです」という自己開示をしたりすることが怖かった。相手の迷惑になるのではないか、相手が態度を変えてしまうのではないか、お互いの関係性が変わってしまうのではないか、と不安だったのだ。そんな時に比嘉さん・水上さんにはゼミ中「まあ、とりあえずやってみたら。やってみないとわからないから」と背中を押していただいた。そうなのだ。あれこれ一人で想像していても、結局それは想像でしかなくて、実際何が起こるかはやってみないとわからない。想像と実際はほとんど違っていて、だからこそ面白い。
一歩踏み込むにしろ、踏み込まないにしろ、人と人が出会った時点で少なからずお互いに影響を与え合う。だったら一歩踏み込んでみよう。出会わなかった前には戻れない。相手に影響を与えること、それは避けられないことであるから、そのことを意識して私たちは生きるべきなのだ、と思う。
展示の様子。並べられているのは合羽橋で購入した食器。
展示の様子。並べられているのは合羽橋で購入した食器。

7. 終わりに。そしてこれから。

迷い、悩みながら歩んだ半年間の末、当初志望理由書に記載した目標を達成できたのだろうか。まだ達成の途中に途上にあるような気がしている。
ゼミの展示以来、ふつりと糸が途切れてしまったように、フィールドとしていたレストランには赴けておらず、フィールドノートも書けていない。けれど、せっかくゼミ期間中に築いた関係やフィールドに飛び込む感覚、フィールドでの心構え・まなざしを忘れずにいたい。日常生活でもゼミで培ったまなざしをもって自分の住む世界を見渡したい。またフィールドワークにチャレンジしたい。自分に芽生えた考えをしっかりと文字に残しつづけたい。他者と向き合うときの姿勢も忘れずにいたい。忘れずにいよう。
ジャイナ教レストランの皆さん。いつも閉店間際に駆け込む私を温かく迎えてくださりありがとうございました。
比嘉さん、水上さん、そしてゼミ生の皆さん。この半年間、皆さんの温かい支えがあって途中で転んでもなんとか立ち上がって、走り抜けることができました。本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。