「居心地の良さ」を作るもの(Yoshitaka Sagawa)

概要

自分が感じる「居心地」とは、一体どこからくるのか?落ち着くカフェと、なぜだか好きになれないカフェ。心やすらぐ銭湯と、リラックスできない銭湯。その場の「居心地」を左右する、普段は無意識に感じ取っているような小さな要素を、改めて拾いあげることを試みた。「カフェ」と「銭湯」という2タイプの公共空間をフィールドとしている。カフェは個人経営のものからチェーン店まで、銭湯は複数の店舗を見ることで「居心地」を構成する要素について考えた。

問いの変化

①特別なコミュニケーション

メッシュワークゼミに参加した当初は「コミュニケーション」や「人と人の関係性」にまつわる事象について見てみたいと考えていた。特に簡単に言語化しづらいような行為や存在(”モノ”との会話や”親友”のあり方など)に関心を持っていたが、当初のこの問いは非常にパーソナルなものであることから観察が難しいため、よりオープンなものへと切り替えた。

②コミュニケーション✕場所性

「カフェ」を最初のフィールドとして、広義のコミュニケーション(”言葉を伴わない”ものも含む)を観察することにした。店員さん同士の関係性や、お客さんの様子や距離感、店員さんとのやり取りや、一人での店内での過ごし方(≒空間の使い方など)を、自分自身がそれらにどう反応するかも含めて注視し記録していった。こうして振り返ると「コミュニケーション」という切り口でフィールドを見つつも、場所の使い方や空気感など「居心地」に関わる要素にも実は目を向けていたように思える。

③公共空間での私的な領域の持ち込み/展開

色々なタイプのカフェを対象として一定期間見ることにした。ここでも「場所の使い方」と「コミュニケーション」が交わるような事象に関心を持っており、今回の自分のフィールドワークにおける問いが少しずつ浮き上がってきた感覚を得た。1軒目は、当時住んでいた代々木八幡の家から至近の小さな路面店のカフェで、色々な時間帯に訪れることでお客さんの場所の使い方が大きく異なることが分かった。夜はバー営業をしており(業態が変われば雰囲気が変わるのは当たり前だが)店内が混雑していても(照明が暗いこともあり)皆我関せずという面持ちでそれぞれの時間を楽しんでおり、普段は誰も座らない階段を椅子として使う人も現れるなど様々な要素が合わさってあの開放的な空間が出来上がっていることが垣間見れた。2軒目は、上記の小さなカフェから徒歩3分ほどのところにある、比較的新しく洒落た雰囲気のチェーン店のカフェである。1軒目と異なってPC作業をする人も一定数いるような空気感がある。作業をするお客さんも多いことから、それぞれの「作業スペース」の構築のあり方にここでは興味を持った。バッグやリュックなど収納しておける物を持っていながらテーブルの上に(その場で使うわけでもない)私物を置いておく振る舞いが気になり、座っている場所や人数(一人客か複数人客か)にも注視しながらそれらを観察した。3軒目は駅前にある、全国展開しているチェーン店のカフェである。勉強や仕事をしているお客さんの比率が他の2軒よりも断然多いことからパーソナルな空間をどう築いているか見れることを期待して見に行ったものの、明確にスペースが(パーティションによって)切り分けられていることから分かりやすいケースはあまり見られなかった。ただ、二人で来ているお客さんや人通りの多い通路に面する座席に座ったお客さん等の特定のケースにおいては少し目に留まるような特徴的な場の使い方を見ることが出来た。

④居心地の良さはどこからくるのか

その場にいる他者を意識した(他者との”関わり”に影響された)場所の使い方への関心がクリアになり、その事象を見ることが出来る「カフェ」以外のフィールドとして思い浮かんだのが「銭湯」である。また、カフェにおいて物の配置や振る舞いなど変化の幅が大きくはない変数を対象に観察していたこともあり、そこから見えるものに限界を感じ、「居心地」というより自分自身の内面的な観点からの観察に切り替えて臨むことにした。銭湯のフィールドワークでは、物や出来事について自分自身の主観を通して見ることでこれまでよりも事細かに見ることが出来たように思う。好意的に感じる点は、それぞれ個別に見ると所謂「清潔さ」「ラクさ」のような要素に片付けられてしまうようなものだったがこれらを複数洗い出し、また他の銭湯において好意的に感じるものとも並べて改めて見ることで共通項を見出すことが出来た。また一方で、不快に感じる要素と照らし合わせることでよりクリアに認識することが出来た。同じ銭湯へ行った経験のある友人や、その場に居合わせた他のお客さんと、その銭湯の好きなところについて会話する機会を持つことができたのだが、他人の趣向との違いを認識することで、自分のものの見方をより立体的に捉えられるようになったと感じている。
銭湯において居心地の良さを作るものの一つが「ルール」である。銭湯にはお客さん同士の間で共通認識に暗黙「ルール」があることが多いが、自分の好きな銭湯では、それがお客さん側に委ねられることが少ないことに気付いた。ここでは更衣室のモップをお客さんがかけることはない(他の銭湯ではよくあり特に常連のお客さんが自治的に床を拭いていることがよくある、しかしこの店ではモップはむしろ隠されている)し、シャワーエリアの椅子はスタックされておらず最初から並べてあることから、椅子の利用後の片付けや他人が確保しているシャワーブースへの気遣いなどへのストレスも無い。この他には店員さんの気配りも居心地の良さとして感じ取っていることに気付いた。銭湯に入ってすぐの待合室のローテーブルにはいつも必ず違う生花が飾ってあるし、営業時間中に店員さんが風呂エリアに入ってきて忙しなくシャンプー交換や掃除などをすることも無い。表層的には「清潔な」店内を気に入っているが、その空間を支えるこの2つの要素が自身が感じる居心地に大きく影響しているのはこの2つであると感じた。

⑤”縄張り”という感覚

「コミュニケーション」についての興味から始まり、人や出来事を直接観察するためそこに「場所性」という要素を取り入れて自分のアンテナが反応する方向へフォーカスを変えながら見続けた結果私自身のものの見方として「縄張り」というキーワードが一つあるのではないか?という仮説に辿り着いた。他のお客さんや彼らの振る舞いあるいは物について、それらが自分の”目につく”か否かの自分の中の基準を言い表すものとして近づけた感覚があり、これまでフィールドの中で気になっていた断片的なものが繋がったように感じている。他のお客さんの場所の使い方においては、彼らがどのように自分のパーソナルな領域を築いてその中でどう時間を過ごしているかに注目していた。またその領域は店舗内の(微かなものではあるが)場所性にどう対応しているのか、他のお客さんとの距離感や関わりとどう関係しているのかという観点も「縄張り」の概念に近いものであるとこの段階で改めて過去の観察をリフレクションすることで感じた。目黒の個人宅を改装したカフェでは、狭小空間でのお客さん⇔店員さん(オーナー)の距離感や、接客業務の無い時間の店員さんの過ごし方や場所の選び方に興味を持ち観察していたが、これもまた両者のパーソナルスペースの持ち方と変化を捉えようとしていたように思う。

学んだこと

・主観を通して見ることによるより高い解像度でのモノの見方。バイアスというものを(思考放棄してイコールネガティブに捉えるのではなく)重要なものとして認識できた。その結果、自分自身のモノの見方(=アンテナ)をより意識するようになった。
・極めて主観的な手記のような自分の銭湯体験録の価値として、たとえば「居心地の良いお店や銭湯を作りたい」となったときにこの言語化には価値があるとHiga-sanから頂いたお話がとても分かりやすくビジネス寄りの視点/価値基準からも、”主観”の価値を理解出来た感覚がある。
・何かと何かを紐付けようとする(:片付けようとする)ことに、少し敏感になった。
・主観と客観を分けるのではなく主観も「何からそう感じたのか」を記述できるならそれは(所謂)”データ”と言える。
・追体験してもらう、という目的において表現手法は色々あると思った。(Ide-sanの展示を見て、モノを掘り起こすような感覚を感じた)

反省していること/もっとやってみたかったこと

・他者の見る世界に深くダイブした結果「帰ってこれない」ような境地にまでは及ばなかった。
・行き詰まった時点で問いを変えてみることで新しい視点を獲得しまた進んでいく、という経験は出来たものの「発見を経て問いが変わる」という経験は今回出来なかった。観察が中心であったため、他者との会話をもっと多く持って深く知ることが出来たら近づけたかもしれない。

今後やっていきたいこと

・私が今回の一部のフィールドのおいて感じた「鼻につく」という感覚の由来をもっと知りたい。
・身近な事象・身近な”他者”に対しても、改めてよく見ることで自分の知らなかった新しい面白さや豊かさを見出だせる(:片付けていたことに豊かさを見つけられる)を学んだので、自分の人生に活かしたい。