22.09~23.02 メッシュワークゼミ歩録(根岸浩章)

 
(メモ)
・類似のリサーチ・クエッションを文章化して、類似の先行研究をみてみる
・フィールドワークをあり方を記述する(フィールド自体の記述、フィールドワークを実施した時期、研究方法等)
・フィールドワークの結果、明らかになった事実を列挙する。列挙した事実の根拠となるデータをフィールドノートから抜き出す
・フィールドワークから得られた事柄に考察・解釈を加える
 
 
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はじめに

はるか遠い日のように感じる展示会から1ヶ月半。「もうそんなにも経ってしまったのか」という、薄れゆくあの日をもっと噛み締めていたい寂しさが胸のなかに満ち満ちている。
 
とはいえ、ずっと噛み締めていてもしかたない。咀嚼し、飲み込み、自分のなかに落とし込んでいくことが必要だ。あの日々から得た気づきや学び、記憶が風化して自分のなかから消えてなくなってしまわないために、これからの歩みに繋がる軌跡を残すために、半年間みんなと歩ませてもらってきたことをじっくり振り返って記してみようと思う。
 
 
先に謝っておきます。長くなります。ごめんなさい。笑
 
 

参加理由:なぜ「メッシュワークゼミ」に応募したのか

ぼくがメッシュワークゼミに申し込んだ理由(=人類学を学んでみたいと思った理由)は、大きくわけて2つある。
 

①サモア生活の熾火

1つ目は、4年前まで住んでいたサモアという国での生活経験だ。約2年のあいだホームステイをさせてもらっていたこともあり、どっぷりとサモアの人たちの土着の暮らしを味わわさせてもらった。そこでの日常は、それまでの自分にとっての「非日常」そのもので、とてつもなく大きな揺さぶりを受けたのだった。
そしてその揺さぶりの熾火は、未だにぼくの心のなかに残っている。「あの人たちは、どういうふうに世界を眺めていた(る)んだろう?」と、帰国してもなお、あの日を思い出すたびに気になって仕方がないのだ。
そんな「気になりごと」について考えを巡らせ、関係しそうな本を読み渡ってみたところ、そうした「異文化に飛び込んで受けた衝撃や差異を起点に考えていく学問のことを『人類学』と呼ぶらしい」ということがわかったのが2年前。じっくりと学んでみたいという気持ちはあるものの学びの場は大学院しか見当たらず「そこまではなかなか決心がつかないぞ…」と思っていたところに、今回のメッシュワークゼミ開講の知らせ。ワークショップ以上・大学院未満の塩梅や、漂う濃密な学びの香りに惹かれたぼくには申し込まないという選択肢はなかった。
 
 
 

② ”探究的な学び” への違和感

もう1つは、ぼくの仕事(学校教育関係)とのつながりだ。
学校教育では、自ら問いを立て学びを進めていく「探究的な学び」の重要性が謳われて久しく、学びの変革が少しずつ起こりはじめている。そのなかでも、地域での探究的な学びに取り組むプログラム設計に携わっているのだが、日々「これでいいのか…?」と悶々としている。
悩みどころの1つは、「学びの過程の一直線 / 予定調和さ」にある。「探究する」とは、本来「先の見えない物事を追いかけていく営み」であるはずなのに、自分たちのおこなっているそれは「あらかじめ立てられた旗印に向かって敷かれたレールを一直線に進んでいく活動」になってしまっているのではないか。そうした違和感を長い間感じていた。
人類学の「わからないから、わかろうとしていく」という姿勢, 態度, 営みにこそ探究の本質があるような気がしたので、ヒントを得られればと思った。それが2つ目の応募理由である。
 
こうした経緯で本プログラムに応募し、幸運にも受講させてもらえることになった。(受講できる旨のメールがきた時にはガッツポーズしました)
 
これがゼミ参加の背景だ。
ここから先は、ゼミのなかで取り組んできた個人プロジェクトについて記していく。
 
 
 

~フィールド設定まで

各々がフィールドを決め、参与観察をすることがゼミでのメインプログラムだった。
ここではその「フィールド」をどのような経緯で設定したのかを記録してくいく。
 
 

1-1. 島の合言葉「ないものはない」

プロジェクトテーマを決めることになったとき、まず考えたのは「今住んでいる土地の暮らしを題材にできないか」ということだった。
 
2019年3月。前述したサモアでの暮らしを終え越してきたのが、今暮らしている島根県にある離島 海士町(あまちょう)という土地だった。
本土から60kmほど離れた日本海に浮かぶ、人口約2,300人の小さな島。豊かな自然に恵まれており、半農半漁のライフスタイルが代々受け継がれており、海上カルデラという世界に2カ所しかない稀有な大地の成り立ちをもつ。古くは承久の乱に敗れた後鳥羽上皇が配流された歴史のある島でもある。
 
ここには島民皆が知っている、暮らしの合言葉がある。それは「ないものはない」という言葉だ。
 
この言葉には複数の意味がある。
 
まず「足りないものはなにもない」という意味だ。小さな離島という環境柄、ショッピングモールやコンビニ、遊園地に映画館など、都会には当たり前にあるものが、ここにはことごとくない。しかし、四季のうつろいを五感で感じられる自然、互いの顔が見える温かな人の繋がりなど、「『豊かに生活していくうえで必要なもの』はすべて揃っている」という、人の暮らしの本質を考えたときの潔い開き直りのようなものだ。
また「必要だと思ったものがないのであれば、自分たちの手でつくればいい」という意味もある。便利なモノをすぐに「買う」ことはできないが、あるものをつかって知恵を生かして「つくる」ことはできる。モノだけでなく、暮らしのなかの楽しみも工夫して自分たちでつくればいいじゃないか。そんなメッセージが込められている。
 
この土地の暮らしを題材としたプロジェクトテーマを考えるにあたり、この言葉を切り口にしてみようと思った。この島の文化や風土を端的に表現している言葉であり、それを探究することで「ここに住む人の暮らし」について見つめ直すことができるかもしれないと、なんとなく感じたからだ。
 
 

1-2. とりあえず探す「日常のなかのブリコラージュ的場面」

「ないものはない」に、ぼくの浅はかな人類学の知識を紐づけたとき、上述した2つ目の「必要だと思ったものがないのであれば、自分たちの手でつくればいい」という意味は、人類学でいう「ブリコラージュ」という概念に近しいものなのではないか、と考えた。そこでまず、「島の暮らしのなかで見かけた、ブリコラージュ的な場面」を収集しはじめた。
 
すると、今まで素通りしていた日常のなかに、それはたくさん見つかった。
たとえば、ゴム手袋が植木を育てる支柱にぶっ刺して干されていたり(おそらく物干し竿がないのであろう)、釣りスポットの堤防に行くための階段として、昔の木製電柱が代用されていたり。
 
あるいは、そうしたモノだけではない。
島で生まれ育った職場の先輩に
「ネギシくん、amazon prime入っとるか?」
といきなり聞かれ、
「え、そうですけど。映画でも観たいですか?」
と聞くと、
「ちょっとこれ(備品)注文してごさんか(くれんか)?お金は今払うけん」
と言われ、断る隙もないままに、体育館の床に貼るテープを注文させられた。
 
「なんで教材屋に注文しないんですか?」
と聞くと、
「電話したら、送料がかかる上に日数もだいぶかかるって言われたけん。」
とのこと。
 
なるほど、つまりきっとその先輩は「『prime』だと送料無料だしすぐに商品が届くので、1番よさそうだ。ただ、自分はprime会員ではない。だったら、今このまわりで『prime』に入ってるっぽい奴は…」と思考をめぐらし、ぼくに声をかけた、というわけだ。
 
これらのように「ニーズが生まれたときに、身の回りの資源を組み合わせ、それを満たす手段をこしらえる」という具体的で合理的なブリコラージュ的生き様をしている人が、島のなかにはたくさんいる。初期のフィールドワークを通じて、それが日常のなかでより一層感じられるようになったのはとてもおもしろい体験だった。
 
 

1-3. フィールドは半径15mにあった

かくして、こつこつと自分なりのアンテナを立て日常の場面収集をしていたのだが、次第に手応えのなさを感じるようになっていた。
理由は、あちこちに転がっているそうしたものを見つける楽しさはあるものの、なかなか「人の顔」が見えてこなかったためだ。
人類学でいう「参与観察」とは「ある人の日々の営みのなかにお邪魔しながら、その人がどのように世界を眺めているかをわかろうとする実践のこと」である、とゼミを通じて学びつつあった自分は、「その人」を誰にすべきなのかがなかなか決めきらない状態が続く日々への焦りが増していったのだった。
 
そんなある日。ぼくは1本の電話を受け取った。隣のじいちゃんからだった。
「柿の木を切りたいけん、ちょいと来てごせな(来てくれんか)」
という突拍子もないお手伝い要請だった。
柿の木を切ったことなんてなかったので、好奇心と、いつもお世話になっているちょっとした恩返しにと思い、二つ返事でお手伝いに伺った。
 
作業は2時間ほどで終了し(めっちゃ楽しかった)、切った枝についていた柿の実がどっさりと採れた。コンテナに5,6杯はあっただろう。じいちゃんの軽トラに載り切らないので、はみ出た分をぼくと妻とで家まで運ぶことになった。
 
 
 
柿の木はじいちゃんの家の裏山にあり、高さ3mほどの斜面を上った一段高いところに生えている。なので、採った柿の木を家に運ぶときには、その段を下らねばならない。
じいちゃんに
「階段、足元気をつけろよー」
と声をかけてもらい、下りようとしたときに「あ、ここにもあるじゃん」と思った。
 
急な斜面になっている土の部分に、瓦やブロックが一定の間隔に埋め込まれており、それが階段の役割を果たしているのだ。
 
柿の木を運び終わってすかさず写真を撮ったぼくはハッとした。
よくよく見回してみると、じいちゃんの身の回りはこうした『ブリコラージュ的なもの』に満ち満ちていたのだ。
畑の砂の流出を防ぐための柵が「ガードレール」だったり、軒先にあきらかにどこかから拾ってきたであろう「シンク」が置かれ、手洗い場として使われていたり。
 
こんな身近にいたのか!と、自分の見落としていたものがいかに多いかに気付かされた。
 
そして「じいちゃんのことはだいたい知っているつもりになっているけれど、もしかするとまだ知らないことがあるのかもしれない。じいちゃんがどのように世界を見ているか、もう少し知ってみたい。」と好奇心を抱き、我が家の真隣、半径15mに住むじいちゃんの暮らしにちょっとお邪魔させてもらうことに決めた。
 
 

実践の記録(フィールドワーク)

4-1. 「じっじ」と「じっじとぼくの関係」について

じいちゃんについての基本的なあれこれは下記のとおり。
 
  • じいちゃん(愛称:じっじ *以下、本文中でも「じっじ」と呼びます)
  • 80歳
  • 大工:今でもちょこちょこ現場に出かけている
  • 隣の島出身で、この島に来て50年以上が経つ
  • 日本酒大好き
  • ネギシ(筆者)の真隣に住んでいる
 
ぼく個人との関係性については、かれこれ4年の付き合いとなっている。ありがたいことに、ぼくがこの島に越してきた当初から気にかけ、可愛がってくださってるのだ。
90人ほどが住むうちの集落の自治会役員を務めており、暮らしのイロハを教えてくれたここでの生活の大先輩でもある。またいつぞやから家に招いてもらって晩ご飯・晩酌をするのが定期イベント化しており、多いときには月に2回ほど、少ないときでも2ヶ月に1度くらいは一緒にご飯を食べ、酒を飲み交わさせてもらっている友達のような存在ともいえるかもしれない。
我が家にある食器棚、本棚などは、じっじにお願いしてつくってもらったものを使っている。
 
 

4-2. ちゃんと「わかろう」と関わる

「参与観察」といえど、当然そんなことやったことない。なので、何をすればよいのかわからず、たじろいだ。ましてや「『じっじ』に参与観察させてもらおう」と決めたものの、4年もの付き合いがあり大体どんな人かも知っている間柄である。正直、「今以上になにか見えてくるものがあるのかな?」と半信半疑なスタートで、モチベーションの行方も迷子だった。
 
そんなときに月に1度の面談で比嘉さんにこんな声をかけてもらい、ハッとした。
「なんとなく過ごすのではなく、『ちゃんと関わる』からこそ見えてくるものがあるはず。一緒になにかをやってみるのもよいし、一緒におしゃべりするのもよい。いろんな関わりかたを考えてみてはどうか。」
 
今までの自分はただの「仲良し」としてわいわいと酒を飲んだり、力仕事の手伝いをしてきた。もちろんそれでじっじとの関係性は築かれてきたものの、果たしてそれで彼のことを「わかっている」と言えるのか。じっじも、ただの酒飲み友達の隣人に「この人はこういう人で〜」と語られると、「お前わしのことそんなにわかってないだろう」と腹が立ってしまうだろう。
 
もっと、ちゃんと「わかろう」としながら関わろう。
そう決めてじっじとの関わりしろを探して歩んだ半年間だった。
 
具体的には、
  • 作業同行:1回
  • 作業場見学:1回 *筆者のみで見学
  • 作業場ツアー:2回 *じっじに解説してもらいながら見学
  • インタビュー:1回
  • 晩酌:3回(結局一緒に飲んでいる笑)
ざっくりと、こんなふうに関わりを持たせてもらった。
 
首尾一貫して心掛けたのは「とにかく記録する」ことだった。
晩酌をしながら録音させてもらい、それを文字に起こして反芻する。
仕事場についていったときには、そこにあるすべてのモノを写真に収める。
そうしたことを意識し続けた。
 
自分のフィルターに引っかかる / 引っかからないに関わらずに情報を集め続けるその過程は、けっこうしんどいものだった。
 
「夜遅くまで文字起こししてるけど、ここから何か見えてくるものなんてあるのか?」
「モノの写真ばっかり撮ってるけど、あとで見返すのかこれ?整理すんの大変やし…」
と、何度かすべてをストップしてしまおうかと思ったときがあった。それがなぜかと考えてみると、「先の見えないものをひたすらに追い続けることへの不安さ」に起因していたように思う。
 
ぼくたちは日々の生活を通して、「○○という目標に向けて頑張る」とか「いついつまでにこれをしなければならない」といったように、目指すべき「旗印」のようなものがどこかに立っていて、そこまでの距離を見通し、いかに最速で到達するかを算段するという考えかたこそが「優」である、という感覚がどうしても染み付いてしまっているのではないかと思う。
こうした「直線的」あるいは「逆算型」の思考と、人類学的な姿勢、態度との差異が自分にとって大きくて、すごく戸惑った。この不安さは、それへの耐性のなさと言ってもよいかもしれない。
 
「わからないことをわかろうとする」営みにおいては、当然のことながら「旗印」の立てようがない。(立てられるのであれば、それはすでに「わかっている」こと、もしくは「わかったつもりから抜け出せていない」ということなので)
だから「とにかく断片を集め続ける」ことでしか歩みを進められない。そしてその断片を拾う過程ですら、見落としてしまっているなにかがあることに後々気づき、また途方に暮れる。そんな感覚だった。
 
ちょっとまとまりがなくなってきちゃいましたが、とにかく、そうした「あてもない散策のような探究の過程」を経験したことのないぼくは、大いに戸惑ったのでした。
 
 

4-3. 問いの変遷(ぼくの場合)

不安な気持ちになりながらもじっじとの関わりしろをつくっていくうちに、たくさんの小さな問いが浮かぶようになってきた。4年間もの付き合いがあり、だいたいのことを知ったつもりでいた間柄でも、アンテナを立てて話を聞いたり、周囲のものを観察すればするほど「あれ、これってどういうことなんだろう?」という好奇心が開き、疑問が湧いてくるのだ。このことが個人的にとても新鮮な経験だった。「わかったつもりでいた」ことに段々と気づいてくる感じ。
 
炭酸水のシュワシュワした泡のように浮かんでくる無数の小さな問い。それらを眺めながら「はて、どうしたものか」「どこから手をつければいいんだ」とこれまた行き止まってしまった。他のゼミ生のみんなが「これ」というリサーチクエスチョンを立てていくなかで、自分はなかなかそういかないことへの焦りもあった。
浮かんだ問いをバババッと書き出し、それを眺めながら「どれかに絞っていかなきゃいけないかな」と考えていたとき、比嘉さんからこんな言葉をいただいた。
 
小さな問いがたくさん生まれるのはよいこと。「わかろうとする」過程には、疑問や問いが発散されるフェーズが必要。小さな問いを追いかける」ことで、だんだん興味が絞られていく。このゼミでは「『答え』を出す」ことを求めていない。
 
無理に問いを絞ろうとせずとも、どんどん発散して、欲張りながらとりあえず全部追いかけてみればいいんだ。そう思えて、気が楽になったことを覚えている。
 
そうして「気になっちゃったんだから仕方ない」と開き直り、気になることを絞らずに、なんとなく追いかけていった。
すると、自分が気になっていることを眺めてみるとどうやら「じっじの周りにある『モノ』」に視点がいっていることに気がついた。
 
 
 
そうして「モノ」に特に目を向けてフィールドワークを続けるうちに、じっじが「身の回りにあるモノ / 手にいれたモノをどのように仕分けているか」ということに特に興味が湧いてきた。
 
そして、「『モノの扱いかた』を触媒として、じっじのことをよりわかろうとしてみよう」と決め、フィールドワークを続けた。
 
 
 
 
 

展示会

じっじの周りにあるモノの扱いについてのフィールドワークを続けたものの、これといった答えが出ないまま最終発表会(展示会)の日が近づいてきた。なにをどのような形でつくるのか、いったい自分はなにが「わかった」といえるのか、まったく整理できないままに展示会まで1ヶ月を切り「あわわわわわ」となっていた。
 
ここでようやく、ゼミのスタート当初から何度も繰り返し声をかけていただいた「このゼミでは『答え』を出すことは求めていない」という言葉の意味がわかってきたように思う。
 
その言葉に寄りかからせてもらいながら、展示の準備を進めていった。
 
 

5-1. 「過程であること」をすべてさらけ出す

コンセプトは「フィールドワークの過程をまとめようとせず、『過程のまま』すべてさらけ出す」ということに決めた。というより、それしかできなかった。というほうが正確かも。
 
フィールドワークで撮り溜めてきた写真やインタビューのなかで琴線に触れた言葉たち。そうしたものをできるだけありのまま展示して、見てくださる方に「じっじと自分の関わり」を追体験してもらえればと考えた。
 
 

5-2. 「手で描く」

じゃあどういう媒体でそれを表現するか。
そのときに思い浮かんだのが、参考図書として読んでいた「メイキング」という本にあった「『手で書くこと』と『タイピング』の違い」だった。
 
「メイキング」ティム・インゴルド 第8章 手は語る より
 
もともとは大工という職人であるじっじをわかろうとする参照点になればと思い読んだのがこの本だった。
そのなかで繰り返し出てくる「コレスポンダンス(応答)」という概念。それがタイピングでは失われてしまうのだという筆者の主張が、全くわからないもののなんだか気になった。ので、一度やってみるか、と思ったのだった。
 
そして、
  • 撮り溜めたじっじの身の回りのモノたちのスケッチ
  • 書き起こしたインタビューから抽出した言葉たち
  • モノから連想するエピソード
  • 浮かんだ疑問
  • 立ち上がってきた仮説
をA3の用紙に雑多に書き記し、それを展示としてみた。
 
 
 
 
なんとなくやってみた手描き製作だったが、終わってみて得た学びや気づきがたくさんあった。
 
まず、写真を見て模写するためには、そのぶん注意深く観察する必要が生じる。そのため、スケッチしていく過程で得られる新たな気づきがたくさんあった。
また、手で書くことはタイピングするよりも時間がかかる。そのため、作業効率は当然落ちる。けれども、頭で考える速さと実際に文字としてそこに記される速さとのあいだに差が生まれるため、書きながらふと「あれ、これってもしかするとこうなのかな」とか、「このエピソード、あっちにも繋がりそうだぞ」という閃きのようなものが起こりやすくなっていた気がする。
手で描く / 書くことにより、そうした対象と思考の往還のようなものが絶えず発生していた感覚があった。
 
そうした過程を経たからなのか、
「これほんとに必要なのかな?」
「なにかに繋がるのかな?」
と、不安になりながら集めた写真、言葉、場面を紙に落とし込んでいくうちに、点と点がつながり、「じっじはもしかすると、こういうふうにモノを仕分けているのかもしれない」という、自分なり仮説がブワッと立ち上がってくる体験が得られたことはとても驚きだったし、自分にとっての忘れがたい経験になった。
 
(立ち上がった仮説)
 
わかろうとするために「とにかく、できる限りを記録する」ことの大切さ。
それが少しだけ身をもって分かれた気がする。ほんとに少しかもしれないけれど。
 
 
 

5-3. 展示期間中

展示会では、多くのかたに展示を見ていただくことができて本当に嬉しかった。「自分の手でこしらえた何かを見ず知らずの他者に見てもらう」という経験がほぼ生まれて初めてだったため、とてつもなく緊張していたのだが、来場くださる方からのあたたかな感想に触れ、そんな心配や緊張はどんどんほぐれていった。
それに、展示を見てくださった方とその場でリアルタイムに対話する時間は、自分の思い込みや視点の偏りに気づく機会としても貴重だった。まとめることをせず、過程をそのままあらわにしたことで得られた時間だったのかもしれないと、ふりかえってみて思う。
 
「つくる」からこそ、見てもらえる機会が生まれるということ。
途中でもいいから、ありのままを開くということ。
展示を通してそれらの大切さを知れた気がする。
 
来場くださり、ちらりとでも展示をご覧くださった皆様、本当にありがとうございました!
 
 

おわりに

6-1. 得た気づきや学び

自分に生まれた変容

 
長々、つらつらと書いてしまい、非常に長く、そして意図が伝わりにくい文章になってしまっていると自覚しています。笑
ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございます。
 
この半年を通じて得た1番の学びは、
「わかっていないということに気づくのは、なかなかむずかしい」
ということだった。
 
「知っている」ことと「わかっている」ことは違う。
今までのぼくは、その人の情報(年齢, 出身地, 経歴, 得意なこと, 夢, 目標など)を知っていることが、その人のことを「わかっている」ということなんだとばかり思っていた。
しかしそれは勘違いで、両者はまったく異なることだった。
 
そして、わかっていないということに気づくには、
「わかろうとする姿勢, 態度」と
「『わかっていないんじゃない?』と指摘して気づかせてくれる人」
が必要だということも学んだ。
 
このことは、これからの自分の世界への関わりかたに小さくない影響を与える気がしている。
 
 
最後になりますが、この半年間の旅路を一緒に歩んでくださったゼミの同期とメッシュワークの3名には、言葉では表しきれないほどの感謝の気持ちで溢れかえっています。
 
半年間で得た学びはここまで書いてきた通りですが、半年間で得た財産はみなさんとの繋がりです。めちゃくちゃありきたりな言葉で真意が伝わりづらそうですが、本当にそう思っています。
 
皆さんと繋がれてよかった…!
 
延々と伸び続けるメッシュワークらしく、
末長くともに学び、
変容し合う関係性でい続けられたら、それほど嬉しいことはありません。
引き続きよろしくお願いします。
 
 
 
 
これにておしまい!
最後まで読んでくださりありがとうございました!!!