書くことで「はたらく」を見つける、拾い上げる(小川泰明)

1.はじめに

3月2日18時54分。比嘉さんと水上さんからメッシュワークゼミの最終課題として「2000文字程度を目安として、自分が実施したプロジェクトについて写真を交えて紹介し、この半年間のゼミについてふりかえる」とのお題がやってきた。2月末の展示発表に向けて走り切り、ある種の達成感に包まれていた私の肩を「まだまだ言語化していないよね」とトントンと叩かれたように思う。
ふりかえりの文章を書くことに対しての納得感、腹落ち感は十分にあるのだが、どうしても手が動かない。課題の締切日はとうに過ぎ、2月末に実施した展示発表からはやくも1か月が経った。自身の思考を自分の言葉でまとめる大切さは本ゼミを通じて学んだことのひとつであるにも関わらずどうしてだろうか。
ここはひとつ頑張って言語化をしてみようと思う…。すぐに思いあたるのはこの研究は自分にとって現在進行形のものであるからだろう。展示会においても途中段階の状態をそのままに発表したこともあり、まだ終わりではなく途中であるという認識が強い。ふたつ目は半年間のゼミナールをやったからこそ、「人類学的なものの見方」の深淵さに触れ、言語化することに対して怖くなってしまった自分がいるからかもしれない。
この言語化は誰かのためではなく自分のために。現時点での私の思考をいったん外に置いてみる、客観的に眺めるために書こうと思う(そう言わないといつまでたっても書けないと思うのだ)。メッシュワークゼミを通じて、あくまでも私が観た世界を、私なりの言葉でここに記したい。

2.個人研究プロジェクト

2-1.ゼミに参加した経緯

私がゼミに参加しようと思った理由は大きく3つ。
ひとつは人類学に対する興味、関心があったから。『働くことの人類学』のポッドキャストを聴き、人類学者が語るものの見方、考え方に触れてワクワクする自分がいた。
二つ目はデザインにおける学びを深めている際に、ご縁あって比嘉さんの話を聞く機会に巡り合うことができたから。その時に調査手法としてのエスノグラフィではなく、もっと深い部分でデザインと人類学がつながっていることを知った。当時の私は新規事業開発部門に所属しており(現在は事業会社のデザイン組織にてサービスデザインを行っている)、無意識のなかで『地道に取り組むイノベーション』が自分の本棚にやってきていたことにも運命的なものを感じた(ちなみに当時は内容がわからなくて読み切ることができなかった)。
三つ目はやらないとわからないという自身の学習観から。とりあえずやってみようという気持ちで参加を決めた。
メッシュワークのふたりが「(客観的ではなく)主体的に・主観的に対象に深く向き合い、それによって自身の価値観が揺さぶられ、常に問いや認識がアップデートしていくようなプロセス」と定義する「人類学的ものの見方」とはなんなのかを頭ではなく、身体性をもって理解をしたかった。

2-2.研究テーマ

自身がサービスデザインに腰を添えて仕事がしたいと感じていたタイミングも相まって、転職先の会社で参与観察をすると学びが深まるのではないかという感覚を抱いていた。そのため、リサーチクエッションではなく参与観察をするフィールドを先に設定していた。ゼミへの応募理由には「転職先の企業をフィールドとしたエスノグラフィを書く。転職をしたタイミングであるため、自身の置かれている環境(転職先の企業)を参与観察のフィールドとしたいと考えている。どのように組織文化を知り、そこに自分が関わり、どういう態度変容があるのか、そこの組織で大切にされているものはなにかを記してみたい」と記載している。
フィールドだけ決めていた私は「個別研究プロジェクト」の問いを「大企業(自組織における)の職能組織におけるキャリアオーナーシップとは?」に設定した。

2-3.フィールドワークを通じた実践

私が参与観察でやったことは主に2つある。ひとつは日々の記録である。人類学者にとってお馴染みのコクヨの測量野帳に自分が見聞きした「小さなC(コミュニケーション)」をひたすらその場で書き込む。「小さなC」とはちょっとした口癖(例えば何気ない雑談)、身振り手振り(例えば誰がどこの席に座っているか)などである。何が見えてくるかはあとにわかることと信じて、可能な限りそのまま書き残した。
二つ目はその日一日を振り返った日記を書く。自分がどう感じたのか、どう観たのか、自分の感想や解釈(どこが面白かったのか、違和感だったのか)に重きをおいてときに主観的、ときにメタ的にふりかえった。
どちらも記載する分量は決めずに実施したため、日々のアウトプットに差は生じた。例えば、オンラインで勤務した日のフィールドメモは他の人のふるまいに触れる機会が減るため、書く分量は減る。自分の価値観が揺さぶられる出来事があった日の日記は感情が爆発して書き殴っていることもあり、メタ的に捉えられていないこともある。

2-4.フィールドワークを通じての学び

22年11月から23年2月上旬までの約3か月、とにかく愚直に毎日書いた。「人類学者のものの見方」は筋トレのように日々実践することで身につくものだと感じていたからこそ、これだけは絶対にやると決めて取り組んだ。
フィールドワーク(参与観察)を通じての学びとしては大きく3つある。ひとつ目は自分のことをわかっているようで実はまったくもってわかっていないということ。フィールドノートを書くという行為を通じて自分のふるまいや言葉をふりかえり、自分のことを深く知るきっかけになった。転職の際に自己分析を行い解像度を高めたつもりだったが、それは私の「はたらく」における一部分だけであったことに気づくことができた。
二つ目は人は突然に変わらないということ。日々のふるまいの集積でその人はつくられるということを地道にデータを取ることでわかったように思う。日々の小さな積み重ねによって膨大な記録がたまったように、私の「はたらく」観(価値観)は 日々の小さな積み重ねでつくられるのではないかと思うようになった。
三つ目は出来事がおこり、自分が記録している(書いている)時点でこの世界で起こったことのすべてを拾えていないという自覚(ある種のことを選んでいるし、捨てている)を持てるようになったこと。どんなに客観的であると信じていたとしてもそれは自分の観た世界であり、自分の視点からは逃れられない。そこにはこぼれ落ちているものがあるということを知っている(意識する)だけで変わることがあるように思う。
これから自分が言語化を行い論を立てていく、エスノグラフィを書くという実践をするなかでわかっていくのだろうと予感をしているが、自分というフィルターを通じて観ていることでこぼれおち、メモに残した時点でこぼれおち、まとめていくなかでこぼれおち、そこから残ったことにどんな意味が生まれるのだろうか…という問いが私のなかに新たに立ち上がっている。

3.展示発表

3-1.展示の企画について

とことん記録することに向き合った3か月を経て、展示発表会において掲げた問いは「転職を通して捉えなおした私の「はたらく」とは」に変わっていた。2月上旬までフィールドワークをすると決めたため、最後の最後まで展示物がどうなるのかがわからなかった。また、記録したデータを開示することが難しいというコンプライアンス上の制約があるなかで「何を」「どのように」展示するのかに頭を悩ませた。
「何を」については、フィールドから持ち帰ったものを短時間で言語化する、何かの論をまとめあげるのではなく、日々の記録をすること、書くことを実直に行ったことをそのまま展示すること、プロセスを伝えることに力点をおいた。
「どのように」については人類学のゼミらしく人類学的なアプローチでやってみようと思い立ち、ブリコラージュの考えにのっとり、今あるもののなかで何をやれるのかを考えた。自分の家にあるもので何ができるかを考えたときにB6の京大カードがあったので、そこに自分が参与観察を通じて行ったこと、感じたことを記すことにした。余談ではあるが、展示会の前月にたまたまプリンターを買っており、当初はA4サイズで印刷をする想定だったが、たまたまB6の印刷ができることが設営日当日に気づくという偶然も生じた。

3-2.展示発表での学び

今ふりかえると私の行った展示は「はたらく」に対する私のインサイトを言語化して展示していたのではないかと思う。参与観察を通じて発見したインサイトのプロトタイピングと言えるのかもしれない。なぜなら、私は自身の展示をもとに鑑賞してくれた方と対話的な時間を過ごすことができたという実感があるからだ。自分のことを知っている方はもちろんのこと、初めてお会いする方からも私の展示をきっかけに自身の「はたらく」に思いを馳せることができた、考えるきっかけになったという嬉しい言葉を頂くことができた。
まだまだ言語化の途中であるにもかかわらず、私の拾い集めてきたデータをもとに、そこから立ち上がってきた「はたらく」観に対しての感覚や意識を共有できた気がする(一方で共感を得られなかった鑑賞者の方もいたと思う)。

4.メッシュワークゼミナール全体をふりかえって

9月からはじまり、あっという間の6か月だった。ゼミの最初に『西太平洋の遠洋航海者』と『フィールドワークへの挑戦―“実践”人類学入門』を読んだのがはるか昔のように感じる。それくらい濃厚な3か月のフィールドワークの実践であった。
日々コツコツつづけることで膨大なデータを集めることができるのかということ(と同時にたくさん拾い落としているという自覚を持ったこと)。顧客アンケートの回答結果やインタビューのデータは幾度となく触れてきていたのに、自分が集めたデータを前にして圧倒されてよくわからなくなるという感覚になったのは、恥ずかしながら初めてである。この肌感覚を身をもって体感することができたのが大きな財産である。
メッシュワークのふたりが「現実の複雑さに直面し、戸惑いながらも思考し、ものの見方が変容していくプロセス」という人類学的なものの見方を通じて自身の「はたらく」観がゆさぶられた結果、再度転職をすることになるなんて、まったくもってゼミを始めたときに想像もしていなかった。

5.これからやること

展示会までに言語化をもっとやれたのかもしれないという気持ちと最大限にやれることはやったという気持ちが半分半分である。
発表の場において自分が取ったデータととことん向き合い尽くした結果の深い考察やそこから浮かび上がった何かを提示することはできなかった。自分が取ったデータと向き合うこと(書き起こす、解釈する、対話する)、それを言語化することが十分にできていないという自覚がある。急いで何かを論じるのはフィールドで一緒に過ごした人たちに対して失礼なのではないか…とも思っている。せめてフィールドにいた時間と同じ時間をかけてじっくり考えたい。そこから見えてきたことを、世の中に還元していくことが彼らに対しての私なりの恩返しになると信じている(今後は学会に向けて論を書きたいと思っている)。

6.おわりに(謝辞)

まずはともにはたらいた会社の人たちに感謝の意を伝えたいです。自分の「はたらく」が生成されたのは彼らとの関係性があったからこそだと思います。ありがとうございました。
そして、展示会にご来場いただいたみなさま、ありがとうございました。一人ひとりとお話しする時間がもっとあればいいのに…と思わずにはいられません。
最後に、比嘉さん、水上さん、ゼミの仲間(さっしーさん、さがわさん、えみさん、いっちーさん、あぐりさん、ネギヤン、ふじえさん)、半年間一緒に過ごすことができて本当に楽しかったです。ありがとうございました。
私はもうしばらく自分の記録したデータとの対話を楽しみたいと思います。